いのちの初夜

 若い時分、23歳で死んだ北条民雄の「いのちの初夜」を偶然に入手して読み、感動しました。其後暫くして之も偶然から「小島の春」を読み、癩患者への極端な差別を知りましたたが自分では何も出来ないと思い忸怩たる感情を持て余した事が有ります。癩は今はハンセン病とハイカラな名前が付いて居ますが、一般人の癩に対する偏見が少なく成ったとはとても思えません。
 癩でもビッコでも何でも、呼び方を変える風潮が跋扈して久しいけれども、呼び名が変わったからと言って偏見が無くなる保証は有りません。偏見の除去には辛抱強い道徳教育しか方法は無いでしょう。今の世の光明皇后とも謂う可きは、有名人では先頃亡くなったマザー・テレサ位のものでしょう。序で云えば、つい半世紀以前に世に出た文学などの古典 (?)に関しても言葉狩りが横行して居ますが、本気で古典の「差別語」を全廃するのなら古今東西の古典の殆どを再発行禁止にし、或いは古代支那ナチスに倣って焚書せねばならないでしょう。  
 趣味が合わないので私は余り読まない作家ですが、筒井康隆の断筆には大いに理由が有ります。彼は後に断筆を中止しましたが、理由は知りません。